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- 2005/12/13 (Tue) 17:00 ---毎年1万8000人を危険に晒す愚行
- 2005/12/30 (Fri) 11:22 ---クリスマスと新年との間
毎年1万8000人を危険に晒す愚行
-Diary- 2005/12/13 (Tue) 17:00
いよいよ米国産牛肉の輸入が再開されます。全頭検査は結局なし。生後20ヶ月以内の牛に限って輸入するものの、引き続き米国は30ヶ月までの牛を輸入するよう求めていくとか。これに対して、国内の牛丼チェーンの対応はかなり分かれているようなので、紹介したいと思います。
まず、吉野家の見解は以下の通り。
http://www.yoshinoya-dc.com/safety/index.html
いやはや恐れ入りました。特に「3 各国の検査状況はどうなっていますか?」と題して、「世界基準として30ヶ月齢以下の牛は安心」だと結論付けています。その決め手としている理由は以下の通りです。
なぜ、これを理由に安全だといえるのでしょうか?これを素直に読めば、若い牛の場合、異常プリオンは確かに検出こそされないものの、微量ながら確実に存在すると認めているに他なりません。そして、少なくとも牛の体内においては、異常プリオンは長い年月をかけて次第に増加・蓄積するものである、とまで認めています。とするならば、人間の体内に摂取された場合にも同様に増加・蓄積していっても何ら不思議はありません。だったら、たとえ微量であっても危険ではないのでしょうか。
これを安全性の根拠として挙げる吉野家の姿勢に、私としては疑問を感じずにはいられません。
次に松屋を見ます。
これだけ! 中国産って、こんなふうに言って捨てられるほど安全性が自明なのだろうかと疑ってしまいます。そこで試しにGoogleで「中国産 安全」と検索してみたところ、でるわでるわ、有害食品の告発サイトが次々と! 中でも衝撃的なのは大紀元時報というニュースサイトの記事です。(http://www.epochtimes.jp/jp/2005/10/html/d95306.html 転載するには手続が必要とのことなので、代わりにリンクのみをここに示します。)そういえば最近、中国と韓国とが農産物のことでやたらと争いあっていたなぁと思っていたら、なんと中国当局は、韓国メディアが中国産食品の安全問題を暴露したことを理由に韓国政府に報道規制を要求したんだと!! どうやら彼らは、他国に対して報道規制を要求することに何らためらいを感じないようです。そんな国の産品が、たとえ狂牛病の心配がなかったとしても、とても安心とはいえまいと思うのですが、この点、松屋がどう考えているのか知りたいところです。
最後に、すき家・なか卯を見てみます。
すき家:http://www.zensho.com/company/ir/_pdf/051209.pdf
なか卯:http://www.nakau.co.jp/special/img/anzen20051209.pdf
どちらも同じ文書を使ってあるのは最近、すき家がなか卯を買収して子会社にしたからであり、この2社は実質ひとつだと考えていいでしょう。
「消費者の命に関わる問題だから、今は使わない」という結論の根拠として挙げる危険部位の完全除去の問題、飼料規制の問題、全頭検査の問題は、どれひとつとっても重大な問題であり、すき家・なか卯の結論は当然すぎるほど当然の結論だというべきでしょう。
補足すると、2005年になってから今日までの1年足らずの期間だけを見ても、全頭検査により異常プリオンが検出された牛が6頭存在しており、全頭検査がなければ毎年コンスタントにその程度の感染牛がそのまま出荷されていただろう、ということです。6頭というとごくわずかに思えるかもしれませんが、和牛の平均体重は685キロ。そこから内臓や骨などを取り除いた食肉部分は306キロであることから、1頭の牛は約3000人前の食肉に化けるのであり、毎年6頭の感染というのはすなわち毎年1万8000人を新たに危険に晒すことに直結するのです。
最後に、この問題に対する私自身の考えを書きます。
結論的には、すき家・なか卯の考え方と一致しますが、「危険部位の完全除去」「飼料規制」「全頭検査」の3点が、それも、いま挙げた順序で重視されるべきだと思います。「危険部位の完全除去」は対処療法として不可欠であり、まずは、これが万全であることが全ての前提となります。次に、根本原因である動物性飼料を与えないという「飼料規制」が重視されるべきです。巷で話題の「全頭検査」というのは、前二者が確実に履行されていることを前提に、それを単に客観的に確認する程度の意味しかないのであって、全頭検査にこだわるあまりに他の二つの要素を忘れてしまうような本末転倒に陥らないよう注意する必要があると思います。
そして、ここからは政策的な話になりますが、もし、今後米国が生後30ヶ月齢の牛の解禁を求めて協議を続けることになれば、今度こそ日本は、それと引き換えに徹底的な飼料規制を米国に求めるべきであるし、もし、何らかの原因で米国産の牛から危険部位が除去されていないものが1例でも発見されれば、即座に再び米国産の牛肉輸入を全面禁止すべきと考えます。たった1例とはいえ、それが消費者に渡るときには3000人前に相当するのだという事実を決して忘れてはいけません。
この狂牛病の問題について、米国人がどうしてここまで無神経でいられるのか不思議でなりません。聞くところによると、彼らの考え方として、そもそも他の生き物の生命を食料として奪っておきながら自らは100%の安全を求めるというのはアンフェアであり、人類の傲慢だ、という考え方があるといいます。我々の感覚からすればそれはむしろ逆で、他の生命を奪っておきながら我々が100%の安全を確保できないようでは奪った生命が無駄になってしまうではないか、とすら思えるのですが、それは置いておくとして、彼らが信奉する聖書の世界では肉食をどのように扱っているのか紹介して、この文章を終えることにします。
上記は旧約聖書の創世記の記述ですが、ここにある通り、本来人類は、「種を持つ草」の「種」(穀物のこと)と、「種を持つ実をつける木」の「種を持つ実」(果物のこと)だけを食料として神から許されているのです。これに加えてもし人類が食肉をもあえて食べたいというのであれば、これに100%の安全を求めるのはまさに自己責任に他なりません。むしろ逆に、神があえて食べ物として許さなかったものを食べておきながら自己責任を果たそうとしない態度こそが、人類の傲慢というべきではないでしょうか?
まず、吉野家の見解は以下の通り。
http://www.yoshinoya-dc.com/safety/index.html
いやはや恐れ入りました。特に「3 各国の検査状況はどうなっていますか?」と題して、「世界基準として30ヶ月齢以下の牛は安心」だと結論付けています。その決め手としている理由は以下の通りです。
http://www.yoshinoya-dc.com/safety/check.html
検査でBSE感染が発見される牛の大多数は生後30ヶ月以上です。これは年をとってからBSE感染する牛が多いためではありません。多くは子牛のときに感染しますが、最初は異常プリオンの量が少なく、長い年月をかけて次第に危険部位で増加・蓄積し、ついに発病します。
しかし、現在行われているBSE検査の迅速診断方法では、感度に限界があり、30ヶ月未満だと検出されないことが多いからなのです。
なぜ、これを理由に安全だといえるのでしょうか?これを素直に読めば、若い牛の場合、異常プリオンは確かに検出こそされないものの、微量ながら確実に存在すると認めているに他なりません。そして、少なくとも牛の体内においては、異常プリオンは長い年月をかけて次第に増加・蓄積するものである、とまで認めています。とするならば、人間の体内に摂取された場合にも同様に増加・蓄積していっても何ら不思議はありません。だったら、たとえ微量であっても危険ではないのでしょうか。
これを安全性の根拠として挙げる吉野家の姿勢に、私としては疑問を感じずにはいられません。
次に松屋を見ます。
http://www.matsuyafoods.co.jp/voice/qa.html
Q1. 松屋の牛めしは安全な牛肉を使用しているのですか?
A1. 松屋では中国産の安全でおいしい牛肉を使用しています。ご安心してお召し上がりください。
これだけ! 中国産って、こんなふうに言って捨てられるほど安全性が自明なのだろうかと疑ってしまいます。そこで試しにGoogleで「中国産 安全」と検索してみたところ、でるわでるわ、有害食品の告発サイトが次々と! 中でも衝撃的なのは大紀元時報というニュースサイトの記事です。(http://www.epochtimes.jp/jp/2005/10/html/d95306.html 転載するには手続が必要とのことなので、代わりにリンクのみをここに示します。)そういえば最近、中国と韓国とが農産物のことでやたらと争いあっていたなぁと思っていたら、なんと中国当局は、韓国メディアが中国産食品の安全問題を暴露したことを理由に韓国政府に報道規制を要求したんだと!! どうやら彼らは、他国に対して報道規制を要求することに何らためらいを感じないようです。そんな国の産品が、たとえ狂牛病の心配がなかったとしても、とても安心とはいえまいと思うのですが、この点、松屋がどう考えているのか知りたいところです。
最後に、すき家・なか卯を見てみます。
すき家:http://www.zensho.com/company/ir/_pdf/051209.pdf
なか卯:http://www.nakau.co.jp/special/img/anzen20051209.pdf
どちらも同じ文書を使ってあるのは最近、すき家がなか卯を買収して子会社にしたからであり、この2社は実質ひとつだと考えていいでしょう。
「消費者の命に関わる問題だから、今は使わない」という結論の根拠として挙げる危険部位の完全除去の問題、飼料規制の問題、全頭検査の問題は、どれひとつとっても重大な問題であり、すき家・なか卯の結論は当然すぎるほど当然の結論だというべきでしょう。
補足すると、2005年になってから今日までの1年足らずの期間だけを見ても、全頭検査により異常プリオンが検出された牛が6頭存在しており、全頭検査がなければ毎年コンスタントにその程度の感染牛がそのまま出荷されていただろう、ということです。6頭というとごくわずかに思えるかもしれませんが、和牛の平均体重は685キロ。そこから内臓や骨などを取り除いた食肉部分は306キロであることから、1頭の牛は約3000人前の食肉に化けるのであり、毎年6頭の感染というのはすなわち毎年1万8000人を新たに危険に晒すことに直結するのです。
最後に、この問題に対する私自身の考えを書きます。
結論的には、すき家・なか卯の考え方と一致しますが、「危険部位の完全除去」「飼料規制」「全頭検査」の3点が、それも、いま挙げた順序で重視されるべきだと思います。「危険部位の完全除去」は対処療法として不可欠であり、まずは、これが万全であることが全ての前提となります。次に、根本原因である動物性飼料を与えないという「飼料規制」が重視されるべきです。巷で話題の「全頭検査」というのは、前二者が確実に履行されていることを前提に、それを単に客観的に確認する程度の意味しかないのであって、全頭検査にこだわるあまりに他の二つの要素を忘れてしまうような本末転倒に陥らないよう注意する必要があると思います。
そして、ここからは政策的な話になりますが、もし、今後米国が生後30ヶ月齢の牛の解禁を求めて協議を続けることになれば、今度こそ日本は、それと引き換えに徹底的な飼料規制を米国に求めるべきであるし、もし、何らかの原因で米国産の牛から危険部位が除去されていないものが1例でも発見されれば、即座に再び米国産の牛肉輸入を全面禁止すべきと考えます。たった1例とはいえ、それが消費者に渡るときには3000人前に相当するのだという事実を決して忘れてはいけません。
この狂牛病の問題について、米国人がどうしてここまで無神経でいられるのか不思議でなりません。聞くところによると、彼らの考え方として、そもそも他の生き物の生命を食料として奪っておきながら自らは100%の安全を求めるというのはアンフェアであり、人類の傲慢だ、という考え方があるといいます。我々の感覚からすればそれはむしろ逆で、他の生命を奪っておきながら我々が100%の安全を確保できないようでは奪った生命が無駄になってしまうではないか、とすら思えるのですが、それは置いておくとして、彼らが信奉する聖書の世界では肉食をどのように扱っているのか紹介して、この文章を終えることにします。
神は御自分にかたどって人を創造された。 神にかたどって創造された。 男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。 「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」 そのようになった。
上記は旧約聖書の創世記の記述ですが、ここにある通り、本来人類は、「種を持つ草」の「種」(穀物のこと)と、「種を持つ実をつける木」の「種を持つ実」(果物のこと)だけを食料として神から許されているのです。これに加えてもし人類が食肉をもあえて食べたいというのであれば、これに100%の安全を求めるのはまさに自己責任に他なりません。むしろ逆に、神があえて食べ物として許さなかったものを食べておきながら自己責任を果たそうとしない態度こそが、人類の傲慢というべきではないでしょうか?
クリスマスと新年との間
-Diary- 2005/12/30 (Fri) 11:22
"Merry Christmas and a Happy New Year!"と言われるように、クリスマスは本来、キリスト教徒の年越しの行事であり、新年を迎えるまでの1週間は、ツリーなどの飾り付けはそのままにするのが普通です。一方、日本の本来の年越しの行事は12月31日の大晦日の夜に始まり、新年を迎えて正月の7日ぐらいまでの1週間は、門松などの飾り付けをして祝うのが普通です。正月の前か後かの違いはあっても、どちらも1週間ほどの時間をかけて年越しを祝う点で共通しているといえるでしょう。
その日本にクリスマスを持ち込むから話はややこしくなります。
クリスマスから新年までの1週間と、新年からの1週間と、計2週間年越しの行事が続いてラッキー! とはいかないのが世の常。そんなに長く祝ってられないとすると、どちらかを形骸化するしか共存の道はなく、必然的に外来行事のクリスマスが形骸化されることとなります。その結果、日本では12月25日を過ぎるともうクリスマスは済んだとばかりに跡形もなく片付けられ、新年を迎える頃には遠い昔の出来事となってしまいます。
諸外国の人たちが言う、日本の七不思議のひとつがこうして誕生します。一体日本人は、何が楽しくてクリスマスを祝うのか、と。
わたくしyohsの今年のクリスマスは、12月24日のイブはakBさんのライブで、25日は天使みひろっち☆のクリスマスライブで楽しく過ごしました。akBさんのほうはちょうど家庭の居間ぐらいの広さの場所で楽しく盛り上がった感じで、食べると願いのかなうお菓子など、クリスマスのイメージを大切にした、まるでホームパーティーのようなライブでした。私はいつも着ているユニクロの赤シャツがまるでサンタ服みたいだと言われて、渡されたサンタの帽子とひげをいい気になって付けてみたところ、かなり好評だったようです。そちらで出されていたオリジナル焼酎を2杯ほど呑んで、ライブが終わってもしばらくほろ酔い気分のままいろんな話題に華を咲かせ、11時過ぎまで楽しく過ごせました。
一方、天使みひろっち☆のクリスマスライブは本格的で、名古屋でいまCM曲などを出して人気のバンドなどを含めた計4組の本格的アーティストによる対バン形式だったのですが、この日レコーディングを控えていた天使☆は2組目に登場後、会場を後にしました。そして、忙しい中、我々ファンとの打ち上げにもちゃんと顔を出してくれて、しかも、こんな可愛いサンタ服姿まで披露していただきました♪ この日は、なんとwOneのテレビ放送をリアルタイムで見ていたという方がファンとして参加され、wOneの頃の貴重な話をいろいろ聞くことができました。
それにしてもテレビの力とはすごいもの。放送から5年以上経つ今ごろになって、当時見ていた視聴者がたまたま新橋駅前で遭って、こうしてファンとして打ち上げにまでついてきてくれるのですから有難いものです。考えてみれば、モーニング娘や鈴木あみ等の人気歌手を次々に世に送り出していた頃のテレビ東京の番組であり、しかも、猿岩石やブルーム・オブ・ユースがやっていたような無謀な貧乏旅行を女の子がやったわけだから、そのインパクトは相当なものだったのでしょう。番組中、海で溺れたシーンで、陸に上がるときにウニに手を刺されたときの話なんかも聞いたのですが、そのシーンをテレビでハラハラしながら見ていた人が全国にどれほどいたことか…。なんとかこの潜在的なファン層をうまく掘り起こす方法があればいいのにと思います。
そんな感じで、私のクリスマスは、結局どちらとも、パーティー兼飲み会のような感じで過ぎていきました。
他の人にもいろいろ聞いてみたのですが、やはり日本のクリスマスは、忘年会の一種のような位置づけで定着しているようですね。参考までにブログの女王、眞鍋かをりさんのクリスマスはどうだったかというと…。和民で飲んで、近所の公園に行って買ってきたケーキを食べるという、まるで芸能人とは思えない、なんとも寂しいクリスマスだったようです。ここまでくると、1週間がかりの年越し行事という本来の姿との落差に苦笑してしまいます。
キリスト教徒でもない日本人がせっかくクリスマスを祝おうというのに、この程度で済ますのは何だか割に合わない気がしないでもありません。例えばクリスマスツリーにしめ縄を架けるとか、門松でクリスマスツリーを作るとかして、クリスマスを正月までうまく並存する知恵があればいいのにと思うのですが…。それができないのであればいっそ中国や韓国のように、正月を旧暦で祝うようにして年末年始をまるまるクリスマスとして楽しめればいいのに、と思うのですがどうでしょう?
その日本にクリスマスを持ち込むから話はややこしくなります。
クリスマスから新年までの1週間と、新年からの1週間と、計2週間年越しの行事が続いてラッキー! とはいかないのが世の常。そんなに長く祝ってられないとすると、どちらかを形骸化するしか共存の道はなく、必然的に外来行事のクリスマスが形骸化されることとなります。その結果、日本では12月25日を過ぎるともうクリスマスは済んだとばかりに跡形もなく片付けられ、新年を迎える頃には遠い昔の出来事となってしまいます。
諸外国の人たちが言う、日本の七不思議のひとつがこうして誕生します。一体日本人は、何が楽しくてクリスマスを祝うのか、と。



そんな感じで、私のクリスマスは、結局どちらとも、パーティー兼飲み会のような感じで過ぎていきました。
他の人にもいろいろ聞いてみたのですが、やはり日本のクリスマスは、忘年会の一種のような位置づけで定着しているようですね。参考までにブログの女王、眞鍋かをりさんのクリスマスはどうだったかというと…。和民で飲んで、近所の公園に行って買ってきたケーキを食べるという、まるで芸能人とは思えない、なんとも寂しいクリスマスだったようです。ここまでくると、1週間がかりの年越し行事という本来の姿との落差に苦笑してしまいます。
キリスト教徒でもない日本人がせっかくクリスマスを祝おうというのに、この程度で済ますのは何だか割に合わない気がしないでもありません。例えばクリスマスツリーにしめ縄を架けるとか、門松でクリスマスツリーを作るとかして、クリスマスを正月までうまく並存する知恵があればいいのにと思うのですが…。それができないのであればいっそ中国や韓国のように、正月を旧暦で祝うようにして年末年始をまるまるクリスマスとして楽しめればいいのに、と思うのですがどうでしょう?